あふれる光の中で、闇音(やみね)は生まれた。双子の光夢(ひゆめ)と一緒に。互いの性質の名を持って。そう、闇音は光の加護を受け、そして光夢は闇に魅入られた。
二人の仕事は、人間たちを導くことだった。光夢の瞳はどこか不思議な色を浮かべ人々を魅了し、そして闇音のまなざしは、人の心をも貫いた。
二人は仲がよかった。性質や性格は正反対だが、しかしだからこそ、そうだったのかもしれない。
そんな二人も、仕事の時だけは別だった。光に導こうとする闇音にとって、光夢は理解しがたい存在だったし、光夢にとってもまた、そうだった。
今日もまた一人、彷徨う哀れな魂が二人のもとへとやってくる。本当ならば、もうとっくに新しい姿に生まれ変わっているはずの、人の魂。
「何を惑う、哀れなる人のたましいよ」
「何故彷徨う、人の子よ…」
「あなた方は……?」
「私は闇音。光の加護を受けし者」
「私は光夢。闇を紡ぐ者。……さあ、話すがよい。何故貴殿は我らのもとへと参られた? 何を恐れる?」
彼女たちの所にたどり着く魂はみな何かしら現世に未練を持っている。あるいは、果てしない絶望、不安が全てを凌駕してしまっている。それらを取り除いてやらなければ、今の様な生まれず死なずの状態が続いてしまう。
魂はやがてゆらりと揺らめいて、一人の男性の姿をとった。
「……私は、昔とある国の王に仕えていました。そのころの世は戦争が絶えず起こり、不安定でした。私は常日頃王をお守り申し上げていた……つもりです。そんなある日、わが国は敵国のスパイの潜入を許してしまい、その者は王に取り入って……、気づいたときには私にスパイというあらぬ嫌疑がかかり、王は術でもかけられたのか目に見えて衰弱していって……、それからはわかりません。私は失意のうちにスパイの刃にかかり、命を、失ったのです」
彼の身体は、彼が興奮する度に揺らめき、その色は青く、赤く変化した。今彼の目は静かに涙をたたえ、身体は限りなく透明になり、その表情からは何も読み取れない。
「貴方は、何を望むのです」
「スパイへの復讐か?」
「……確かに、私を陥れた奴は憎い、しかし、私の気がかりは王です。わが君主があれからどうなったかと思うと、とてもじゃないが生まれ変わることなど……」
闇音は静かに微笑むと、彼を水晶でできた鏡の前へ案内した。光夢とともにそれに手をかざす。鏡はふぉ……んと唸るとあたりの景色がゆがみ始めた。彼は不安げに二人を見やる。二人は両側からそっと彼を支えた。
「怖がることはありません」
「我らはこれより貴殿を案内する」
「ど、どこへ?」
「貴方のよく知る場所へと」
空間はやがて正常な状態へ戻り、そして彼らが今立つ場所は……。
「ここは……」
「そう、かつて貴方が仕えていた城です」
「ただし、貴殿は亡くなっている。今は、貴殿が亡くなったすぐ後の時に来ている」
彼はしばし考えるそぶりを見せたがすぐに王の姿を求めてあたりをうろつき始めた。
「! ……陛下……」
彼の視線の先には彼が生涯かけて仕えた君主の姿があった。その頬はやせこけ、憔悴した様子で、うつろな目で何かを探しているようだ。
「何を探しておられる?」
そう言いながら王の背後から忍び寄ったのはあのスパイだった。それには答えず彼はなおも何かを、誰かを探している。スパイは王の首筋に手を当て何か、呪文のような言葉をささやく。かすかに手が発光し王の目に生気が戻った。
「エグバルト、ロロは、……彼はどこだ。何故、私のそばにいない」
「陛下はまだ彼奴のことを信じておられるのですか?」
「ロロ、は……」
「あの者は死にました」
一瞬顔がこわばったがすぐふっと緊張を解き、淡く微笑んで王は言う。
「ロロが私をおいて死ぬはずがないだろう。冗談はやめてロロを呼んできてくれ」
「陛下、冗談ではありませぬ。奴は反逆を企てたかどで牢に入っておりました。ご存知のはずですよ」
「しかし、」
「潔く、死を選べばまだ救いがあったものを、見張りを懐柔しあくまでも陛下に反抗する態度をとり続け、」
「嘘を申すな! 信じぬ! 私はロロの口からしかと聞くまでは信じぬぞ! 二度は言わぬ、今すぐロロを!」
「陛下……」
ロロは静かに泣いた。君主を守ることができなかったという後悔が彼の心を支配する。今も、こんなに近くにいるというのに、できるならば今すぐにでも王の下へ駆けつけたいのに、それができない我と我が身が口惜しい。
「……ふふ」
エグバルトは再び王の首筋に手を当てる。王の身体から力が抜けていく。床に崩れそうになる身体をロロが支えようとするが無論それが叶うわけもなく。
「何を、するエグバルト……」
「ふ、さすがの私も今回ばかりは読み違えたようだ。ここまで主従の結びつきが強いとはな」
「手を離せ」
「さて。このまま少し力を加えればたやすく殺せる。言葉には気をつけるべきだな」
「すると、やはり……!」
「ふん、気づいていたか。いかにも。スパイは私だ。……今ならば奴が殺したことに出来る。予定より早いが、死ぬといい」
「はじめから、おかしいと思っては、いた。国をのっとる気ならば、そのうち本性を現すだろうと、あえてのっていたのに、そのまま、はめられるとはな。情けなさ過ぎて涙も出ぬよ」
「安心しろ、あの世では奴が待っているのだ。さびしくはなかろう?」
口の端だけをあげてわらうと彼は王を高々と持ち上げて呪文を唱え始めた。逃れようともがいていた王は詠唱を聞いて覚悟を決めたのか、やがて静かに目を閉じた。
「ほう、ずいぶんと潔い……。未練はないのか?」
「私は死など厭わぬ。ましてロロまで失ったのだ。これ以上、何を恐れるのだ」
「ならば望みどおり、殺してくれるわ!!!」
……そして、彼らはいつの間にか元の場所へと戻っていた。
「あの後、貴方の君主はエグバルトの手に掛かり、命を失いました。それは貴方の咎と…」
「わ、私のせいで、……」
「貴方のせいではありません。ただ、そういった運命だったのです」
「…さあ、貴殿はこれからどうされるおつもりか? 再び生まれ行くか?」
彼はゆらゆらと揺れ動く。選べずにいるらしい。王への忠誠心は今なお彼の中で深く静かに燃えているらしい。
「貴方がすべてを捨てることなどあの人は望んではいないでしょうに。それよりもまこと運命ならば生まれ変わった後も、あの魂に仕えることも叶いましょう」
「貴殿は全てを忘れることになる。生まれ変わったそのときには綺麗さっぱり、何も覚えてはおらぬよ。貴殿はそれでもよいのかな?」
二人が何か言葉を発するたびに、彼の心は揺れ動く。どちらの言葉も正しく、どちらも惑わせる。彼が、王に対して抱いている気持ちには微塵も揺るぎなく、それがかえって選択を妨げている。しかし、どちらかを選ばなければならない。必ず、どちらかを。
「いやまて、今ひとつ、方法がないわけでもない。貴殿さえ、その気があるのなら……」
「光夢、だめ、それは……」
それは、選ばない、ということ。闇音を選べば彼は来世、別の命へと生まれ変わる。光夢を選べば、彼は輪廻のサイクルを断ち切り、もう二度と生まれることはない。ただ、闇へと回帰する。そして、光夢が言い出したもうひとつの方法とは。
ゆるりと、極上の笑みを浮かべ彼女はささやいた。
「貴殿はいつまでも、生き続ける。幸せなときの中で、王とともに…」
「……それは?」
堕ちる。二人はそう確信した。闇音は絶望して。光夢は喜んで。それこそが彼女の真の目的。
「貴殿の記憶の一番幸せだったときのまま、貴殿も、周りの人々も年を取ることなく、ただただ平和に、幸せに時が過ぎていくのだ。……永遠に」
彼も、心のどこかではそれが逃げていることに他ならないことに気づいていたはずだ。しかし、無念のうちに死んだ自分と、結局王を守れなかった自分と、様々な思いは彼の中で混ざり合い……。
その目を見て絶望しながらも、一縷の望みを託して闇音はささやく。
「そんなこと、逃げるだけです。貴方がもし、…もし本当にまた王に仕えたいのなら、贖罪したいのなら、生まれ変わってであった人に再び忠誠を誓い、今度こそ守り通すべきです」
光夢の言葉に堕ちかかっていた彼は、しかしその意思を変えることなく、闇音に告げた。
「貴方の意見は……とても正しい。本当なら、そうすべきなのでしょう。けれど…私は疲れました。ただ、平穏を求めたいのです。ただ一人、私の仕えた……あの方と」
闇に魅入られた魂はやんわりと微笑むと、そのまま静かに宙に溶けた。
つかの間の休息のとき。しかしそのほとんどを闇音は泣いてすごした。
「…仕方ないでしょう、闇音。彼が、選んだ。われらは、ただ道を指し示しただけ……」
「わかってる、わかっています。けれど光夢、私たちはそれならば何のために生まれたのでしょう。ほかの生物と違いこれから先死ぬことも、生まれることもなく、この世界で、迷い人が訪れるのを待ちつづけて…」
闇音は彼を救えなかったこと、彼を癒せなかったことを心の底から悲しみ、悔やんでいた。そして、最近そんな魂は増え続けていた。みなの心の傷は、あまりにも深く、大きい。
光夢が何か言おうとした時、再び人が現れた。
「……ここは?」
「私は光夢。こちらは闇音。貴殿は何故彷徨う?」
「友達が、待ってるの。私、待ち合わせしてて、けど車に撥ねられて、そこに、行けなかった。気づいたときには、私はもう死んでたの」
少女の頬には涙の跡がうっすらと残っている。自らの不運よりも友との約束を破ってしまったことのほうが気がかりらしい。それでも気丈に二人に微笑んで見せようとするが、ほんの少し、顔がゆがんだだけで。
「友達に会いたい」
聞こえるか聞こえないかの、少女の本音。闇音は、しばらく考え込んでいたがゆっくりと少女を見て微笑みかけた。
「…わかりました」
「…! 闇音! だめだ、それはいけない!」
「誰も、救えないのならば、それは死んでいることと同じです!」
静止する光夢を不思議な迫力で黙らせると彼女は再び微笑んだ。
「貴方を、生き返らせましょう。ただし、一日だけ。その友人に、伝えたい言葉があるでしょう?」
闇音たちには時を操る力は備わっていない。まして、一度死んだものを生き返らせることなどできるはずはないのだ。……普通の方法では。
「忘れないでください。一日だけですよ」
再び鏡のまえに立ち、闇音は手をかざした…。
少女は友人の部屋へやってきた。ドアノブを回す。鍵は掛かっていなかった。薄暗い部屋の中で友人は一人、泣いていた。
「……誰?」
少女に気づいたらしく、顔を上げた。その顔から一瞬で涙がひく。
「あ……」
「ごめん、ね。いけなくて。私……」
「いいの、いいんだ。……でも、どうして?」
少女は今までのことを説明した。一日だけと聞いて友人は悲しんだが、しかしやがて笑うと、ぎりぎりまで遊ぼう、といった。彼女は頷いた。
一日が、終わった。最期に、友人は泣かなかった。笑って、彼女を見送ってくれた。
「……闇音さん、光夢さん、ありがとう。私、もう大丈夫。ちゃんと生まれ変われる」
闇音の作った光の通路から彼女は消えた。
そして、闇音は自分の力が無くなっていくのを感じた。闇音は、自分の命を捧げて、一日だけ少女を生き返らせたのだった。彼女の気持ちには不思議と恐ろしさはなく、ただ闇音を一人、この虚無の世界においていくことが、一人にしてしまうことだけが悲しかった。
「ばか、闇音の馬鹿!」
「……ごめんね、光夢。一人にしちゃうね……」
彼女の目から、とめどなく涙が流れる。しかし光夢にはそれに気づく余裕はない。死というものを、こんなに間近に感じたことはなかった。感じることもないだろうと思っていた。今、闇音が死にそうだと言うのを見てはじめて、死を怖いものだと感じた。徐々にだが確実に、闇音の身体から体温が失われていく。時が、彼女の命をかすめ取っていく。人が何かにこだわるのを、未練を残していることを内心蔑んでいたのに、いま、彼女の頭には闇音を失いたくない、という気持ちだけ。
「……ゃだ。やだやだ。闇音がいなきゃ、いやだ。あたし、あたしの命、全部闇音にあげる、だから!」
水晶の鏡は二人の願いをかなえた。一緒にいたい、という二人の願いを。
彼女たちから『永遠』がなくなった。すなわち、二人は生まれ変わったのだ。……人間に。
二人は、何も覚えてはいない。ただ、時々夢を見た。そこには闇音と光夢ただ二人きりいて、ほかには何もなかった。ただ二人、永遠を見つめていた。
……ずっと二人で。